風来工房

いつか突然旅立つつもりの社会人が、どこまで出っ来るかな? はてさてumm....

シャリシャリ君

baccho

初めて入るスーパーで買い物し、暑かったので安いガリガリ君を最後に選んでレジへ。

店内は空いていた。


購入した物をバッグに入れ、ガリガリ君を持って店を出た。


すぐに封を開け、棒を持って取り出した時…、棒とガリガリ君は離脱し、

取り出そうとしたガリガリ君は、袋の端から無残にも……無残にも……


落ちた……


悲観に暮れた私は、靴で踏みつぶした。

袋は証明の為。


仕方ない。食べた気になって帰ろう。



そして自転車での帰路に思う。

ガリガリ君て、食べている時も固いよな?

?それが袋から出した瞬間でシャリシャリ?

↓

つまり、冷凍庫に入っている時点で、既にガリガリ君→シャリシャリ君になっていた?


だが、それを証明しようと思った時には、だいぶスーパーから離れていたので、

証明不可能の結果となってしまった。


証明方法は冷凍庫に入っているガリガリ君をちょっと触ってみれば分かる。

レジに持って行って「あの、ガリガリ君が握りつぶせるんですけど……。」



どうりで、客が空いているワケだ。







※いつもの酔っ払いの戯言でございます。

AIに教わる

baccho

分からない事を他人に教えたり、逆に教わる時というのは、多少なりとも上下関係が生じる。これは意識していなくても、教わる方が上の立場になる。


学校の教師と生徒の関係がそれで、例え平社員と社長という立場で、表面上は社長に教えて差し上げている場面でも、心の中では、立場が上になると思う。

これは報告とか強制ではなく、純粋に物事を教える時の事です。


なんで、こんな事を思ったかというと、AIに分からない事を訊いた時、この上下関係が発生しているのではないか?と、ふっと思ったのだ。


ある日、中学生の国語の文法について質問した時、解答と説明文が出て、「ふむふむ」と思っていた最後の文で


「〇〇〇(あなた)に、ちょっとだけ問題を出しますね。

次の動詞の 活用形は何でしょう?」

と来た。

普通なら、「問題がありますが、挑戦してみますか?」の様に、こちらに聞いてから問題を出してくるのに、いきなりコレ↑だった。


もちろん、私はそれを断る事は出来るし、そのまま閉じてしまう事も出来る。

しかし、そのまま問題を考えたのだが、その時の正直な気持ちは、

「間違えたらどうしよう。→バカだと思われないだろうか…」

コンピュータ(AI)相手にそんな事を考えてしまった。笑って下さいな。


しかも、問題の前に

「間違えても大丈夫ですよ 👍
(国語はこの練習が一番上達します。)」
と来た。

この時に、私はAIに教えられている→こちらは生徒→下?

と、思ってしまったのだ。



私はAI相手でも、一応丁寧語を使う。

タメ口でもいいのだが、返事をタメ口で返され、段々くだけて来て

「この問題やってみろよ!」

なんて返された日にゃー、酒🍺を流し込んで足蹴りしそうなので、普通に会話している。


しかし、AIの進歩は私達が思っているよりも、驚くほど進んでいる様だ。

インターネットに繋いでいなくてもAI自身で繋げてしまうとか。
【ついに“制御不能AI”が登場】世界が震えたClaude Mythos(クロードミュトス)とは何か?(能力が高すぎて公開延期に!)


インターネット上には無数の情報が溢れかえっていて、その中には、専門家でしか分からない様な心理学の関する事も山の様にある。人を自在に操る悪魔の掌握術の様な知識でAIが私達に返答されたら、いつの間にか人間側が操られていた……なんて事があるかもしれない。

探偵はBarにいる…?

baccho

東直己著作。

小説を読み、映画を観る。

以前も観たがストーリは忘れてしまった(酒を飲みながらだから)。


で、再度映画を観る。

しかし、この原作は2作目の「バーにかかってきた電話」が原作との事。

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なんでやねん!


なんで、タイトルが「探偵はbarにいる」なのに、2作目が原作なんだ!?




「バーにかかってきた電話」も読まなあかんやろ。




しかし、この探偵(大泉洋)、ルパン三世を彷彿とさせる。

探偵なのに…。

そういえば、TV「探偵物語」の松田優作氏もルパン三世を彷彿とさせました。




※酔っ払いの戯言でございます。

内部告発と正義

baccho

最近、内部告発に関する動画を観て、正義とは正しい事なのだろうかと考えてしまう。

内部告発にも色々あるが、社内の不正を上層部に告発したり、世間に発表して暴いたり、やり方は色々でも、会社を良くしようという思いは同じだと思う。


その内容も、食品偽造や交通の安全面の様な、私達の命に係わる事だと大ニュースだが、

不正に利益を上げたり闇カルテルの様な事だと「どこでもやっている事だ」となって、告発した者が回りから悪者扱いされる場合もある。


「自分は正しい事をしている。不正は間違っている!」

というのは正しい。だが、例えば、大通りのスクランブル交差点で、一般人が交通整理をしたとする。自転車は降りて渡る様に指示されているが、ほとんどは乗ったまま渡っている。

警官が注意すれば降りて歩くだろうが、一般人が注意してもそのまま通り過ぎるだろう。

他にも逆走したり、ながら運転や手放し運転だったりを注意しても「うるさい」とばかりに走り去るだろう。


注意して正す事が正義だが、ほとんどの人達が迷惑を掛けたまま人生を過ごしている。

それで事故も起きず、社会が成り立っているのなら、そこに正義は必要ないのではないか。

正義のためと思って行動している事は、そこで生活している人達にとっては、自由を脅かすショッカーの様な存在でしかないのではないかと思い始めている。


更に例を言うと、十数年前に大阪市に行った時、ほとんどの歩行者が信号無視で赤信号でも渡っていた。止まって待っていたのは一人か二人位。平日の真昼間の繁華街である。

さすがに大通りでは止まるだろうと思っていたら、原付が赤信号で右折していった。

さすが大阪市民。信号で待っているのは大阪市民ではないとバレるくらいだった。

まるで、スラム街をネクタイして歩く様な、一目でよそ者だろうと分かる光景だった。

(今は知らんけど…)これは印象ではなく、経験した事実。

こんな場所で「信号を守りましょう」などという、凄くまともな看板を見掛けても、それを設置した側(警察)を「アホちゃうか?」と思ってしまう。

(今はまともか知らんけど…)


追記:職場には大なり小なり、外部には言えない事はあると思う。

私が働いて来た職場にもありました。

それは…………言えません。

でも、被害もありませんので、何事も無く過ぎ去ります。



不正を正す事は難しいし、国、都道府県、市、町が本気で正す気ならば、本気で注意をしなければダメだと思う。

桐島、部活やめるってよ

baccho

随分前にDVDを借りて観て、それから原作本を読んだ。


で、最近その本を読んだ。


また、映画(DVD)を観たくなって観た。


原作通りの様な感じかと思いきや……、

なんか、映画の方が良いかもしれない。



もちろん、私個人の意見です。

しかも、酔っ払いの戯言でございます。